今回、MuSASHi RTハルク・プロのライダーとして鈴鹿8耐に参戦したライダーであるレオン・ハスラム、マイケル・ヴァン・デル・マークの二人と特にいろんな話をする機会を得たが、彼らがともに言っていたのは「8耐は有名なレースで出てみたいと思っていた」ということと「出られるチャンスを得て、ぜひこれを良い経験にしたい」と考えていることだった。
80年代、90年代に鈴鹿8耐に大挙参戦していた外国人ライダーが最近は減少し、海外でどの程度の報道がされているのか把握できていなかったが、まだまだ世界のロードレースシーンにおいて、鈴鹿8耐の存在は大きなものとして認識されているようだ。
特にレオン、マイケルともにプロダクションバイクを使ったレースに現在参戦しているから、ということも大きな理由にはなっているだろうが、それでも鈴鹿8耐の参戦というチャンスを得たことに、大きな意義を感じていたのは事実だ。
レオンはシーズン序盤に大けがを負い、未だ完治していない状態での8耐参戦。参戦のオファーがホンダからあったとき、当然「NO」と言う選択もあったはずと聞くと、いいチームでいいマシンに乗れる。そんな経験はなかなか得られないし、自分の現状を把握した上でのオファーだったから、悩むことなく「YES」と言った、と語っていた。
ワールドスーパースポーツ600を戦うマイケルは,1000ccマシンでのレース経験がなく、もちろん鈴鹿8耐も未経験。オファーを受け、最初は「マシンもレースも未経験の自分にできるチャレンジなのか」と戸惑ったと言うが、声をかけたホンダのスタッフが「大丈夫」と背中を押してくれたので「素晴らしい環境でレースができる絶好の機会だから」と、参戦を決めたと言っていた。
メルマガでも書いたがレースを取材しながら、今回の鈴鹿8耐の勝負どころは第3スティントだったと私は考えていた。
20秒強、トップを走るゼッケン11と634の差はあったが、これはワンミスで詰められる。
2位を走るゼッケン634マイケルは、8耐決勝を走るのが初で、次々と現れる周回遅れを猛暑の中でのライディングで交わし続けられるのか。ミスが起きる可能性は十分に考えられるし、予選で見えていた速さを決勝でも披露できるのか。披露できるとしたら、ゼッケン11に対して大きくプレッシャーをかけることができる。
そんな注目の中、トップレベルの速さでアウトラップをこなし、2分10秒から9秒台と、これまたトップレベルのタイムで周回を重ねたマイケル。
対する清成はコースインして2周目、3周目と連続して9秒台をマーク。レース後のコメントで「決して無理に飛ばしたわけではない」と言っていたが、引き離しにかかっていたのは間違いない。
結局、第3スティントの5周目、58周目のデグナー2個目で清成は転倒してしまう。
マイケル自体は「予選でいいタイムを出していたし、決勝も同じに走れば良いと考えていたから特にプレッシャーを感じることもなく、コースインした。良いリズムでは走れていたと思うけど、自分のパートの終盤になってきて古傷が痛み、左手に力を入れられなくなってしまった。28周する予定だったので、何とかそれはこなそうとしたけど無理してチームに迷惑をかけるよりは早くピットに戻った方がいいと考え、合図を出してチームの準備を早めにしてもらった」と言う。
マイケルは古傷を痛めたことから決勝はこの1スティントのみの走行となり、これ以降チームは高橋巧と、手負いのレオンの二人で戦わなければならなくなった。
ラスト30分で雨が降り出し、上位陣の中にピットインしてレインタイヤに変更するチームもあったが、トップを走るゼッケン634高橋はスリックタイヤで最後まで走りきる選択をした。
「体力的には厳しかったから、気は必要以上に遣わなければならなかったけど、全開走行を強いられるよりは肉体的に助かった」とレース後に高橋。
「本当はレオンの走行を減らして負担をかけないようにする作戦だったが、マイケルが走れなくなったことでレオンに辛い思いをさせてしまった。でも初めて乗る1000ccマシンで初めての8耐で、マイケルにあの難しいコンディションを連続走行させるのはリスクが高かった。結果的に古傷が痛み、1回しか乗れなかったのはチームにとってラッキーだったのかもしれない」とは総監督の本田重樹。
いくつもの複合要素が混じり合い、今年も8時間にわたる戦いが演じられ、214周で決着が着けられることとなった。