NSR250R その進化と軌跡 (ヤエスメディアムック658)  書けなかったエピソード1

10月29日に発売されました。

この本で取材した話をちょっと書いておこうと思います。

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池戸さんへのインタビューの翌日は、高久さんだった。
そのことを池戸さんに伝えると、
「覚えてくれていたとしたら、宜しくお伝えください。現場で一言も口をきいたことはありませんが」
今時のサーキットのパドックでは考えられないが、90年代以前、自チーム以外はすべてライバル。親しげに話すなんてあり得なかった。
「当時の話です。朝霞研究所で開発のために筑波サーキットを貸し切るけど、数台しか車両は走らないから一緒にテストしても良いと誘われて行ったら、うちとJhaだけだった。で、Jhaのメカニックは高久さん。テストが終わってからドラサロで朝霞研究所のスタッフに「どうでした?」って二人座らせられて聞かれたんだけど、手の内は明かしたくないからなにも言わなかった。高久さんも同じ。そんな時代でしたよ」と池戸さん。
「レース前にウォームアップ上にマシンを持っていって、高久さんがエンジンをかけてたら自分たちはピットに戻った。エンジンをかけて暖気してるところを見せたら手の内がバレるから」
エンジンをかけるだけで、エンジンの仕様がバレるものなんだろうか?
「なにも考えずにウォンウォンとアクセルを回すような人なら分からないだろうけど、開け口とかそこからの繋がりとか、振動も見ながらアクセルを開け閉めするから、そういうウォームアップをさせている人なら分かるね」
このあたりが、本誌の中で小澤さんが語る「コンマ25のシム」の話に繋がるのだろう。

翌日、高久さんに池戸さんの言葉を伝えると、笑いながらこう答えてくれた。
「うん、口きいたことないけどね。覚えてるよ。同じ時代を戦った戦友みたいなもんだから」
インタビューの帰り道、池戸さんに高久さんの言葉を伝えると、
「高久さん、覚えていてくれたんですね。嬉しいですよ!ある意味、尊敬していましたから。どこかでお目にかかれたら嬉しいですね!」
と返ってきた。

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ライバルに敬意を払いつつ、全力で戦う。
なんだか清々しい気持ちになった。

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