NSR250R その進化と軌跡 (ヤエスメディアムック658)  書けなかったエピソード2

10月29日に発売になりました。

 

 右から二人目が池戸さん

本当は本の中で書きたかったのだが、趣旨と異なる話になるので入れなかったことがあるので、そのことを書きたいと思う。
チームが別のメーカーの車両を翌年から使うとショップの代表から告げられ、たくさんの協力者を裏切ることはできないと、会社を辞め、結果としてレース界から去った池戸さん。
本誌の中で私は「池戸さんはSSフクシマを退社し、以後レースとはまったく関係のない別の業界に身を投じた」と一言で書いた。
これだけの成績を残した池戸さんだ。未練がないはずがない。
でも池戸さんは、自らのレース活動の中で、レース自体を商売にする難しさは痛感していた。そして自分自身が先頭に立ち、レーシングチーム、レーシングガレージを切り盛りすることは、一時的に成立したとしても、継続させることはできないと考えていた。
そしてなによりも、池戸さんは四人の子供を抱える父子家庭の長という立場があった。
「当時は保育園に通う子供もいて、具合が悪いとなれば迎えに行かなければならない。自営で、時間が自由になるような仕事しかできない」という難しさが、池戸さんにはあったのだ。
離婚し、相手に子供の面倒を期待できないと考え、自分で引き取ったという池戸さん。とは言え、相当の覚悟がなければ自分の子供とは言え、四人を面倒見ると言えないはずだ。
その覚悟が、レース業界から身を引き、自営でできる新たな仕事探しに池戸さんを向かわせたのだろう。
「恥ずかしい話ですが」とプライベートな話を始めた池戸さんの言葉を聞き、この人は信頼できる人だと心から思ったのだった。

池戸さんの手がけたマシンは、押し引きした瞬間にその差が明確だったという。
ホイールベアリングやディスクパッド、ローターの引きずり、スプロケットの当たり。すべてに渡って徹底してメンテナンスし、フリクションというフリクションを徹底して減らしているから、スッと押しただけで動くそのスムーズさに、だれもが驚いたという。
「結局は、細かい作業の積み重ね」
インタビュー中に何度も池戸さんはそう言っていた。

目の前のことに対して真摯に向き合う。

言うのは簡単だが、実際に行うのことは面倒な人生になる。

でも池戸さんは、どんな状況でもそれを貫いてきた。
素晴らしい人だな。
そう私は感じた。

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